■2003.8月〜
今年の4月くらいから、徐々に検査結果が悪くなり、様子を見ながら相変わらずの生活を続けていたのだが、8月になっても、いっこうに良くなる気配なし。
とうとうCRPが退院時の数値を超えてしまったので、(つまり入院していた後半より悪い状態ということ)
生活パターンを切り替えることにした。
あ、そうだ、前回の日記で、『難病指定はずされた』と書いたのだけれども、その後、検査して再申請し、現在は認定もらってます。
ただ、再申請のときも、一度、けられたり、その蹴られた理由も、結局、役所の書類手続きミスであることが判明したりして、『なんだかなあ』と思ったこともありました。
CRPの数値なのだが、数字はここへは書かない。
他の患者さんが、おかしなふうに参考にすることがあるのをメールやらでときどき思い知るから。
これに限らず、とにかく、ここに書いてることは、全部、僕個人の状態のことなので、何から何まで自分に当てはめないでくださいね。
今までの日記は置いておかないのは、そういう意味もあり。
具体的に言うと、『自分の病気が良くならないのは、医者のせいなのがわかりました』という主旨のメールをもらったことさえあるのです。
それは違います。病名が同じであっても、病気は個人個人、違うものであるということ。僕の症状は僕の症状でしかないということ。
話を戻して、生活パターンきりかえ。
■基本的に家で過ごす。仕事も自宅のみで片づける。
連絡は電話とメールで済ます。あちこちへ出歩かない。
基本的に出歩くのが好きなので油断してると週に4〜5日は家にいないことになってしまうことが多かったことを省みて、このように変更。
自分の 0 or 100% の融通のきかない性格が、あらためてよくわかる。
■最低でも週に一回は会社のミーティングに出ていたが、それも中止。
冷静に数字の推移を見て、たぶん、もう年内に会社へ行くことはないだろうなと思う。
■薬を飲む量を、医者に無断で勝手に増量。
退院してから徐々に薬を減らされてきたのを、一番病状が悪かった頃の量飲むようにした。
CRPが入院時より悪いのだから、それでかまわんだろうという勝手な判断。
ほんとは医者の指示なしに、こういうことをしてはいけないと思うので、真似しないでください。
どうせお医者さんが、ここを読んでるとは思えないので、僕は書いてしまうわけですが。現在ペンタサ何錠飲んでるかとかは書きません。
なんでこういうことができるかといえば、薬を4週間分もらって、病院へは3週おきに行くようにしてきたからで、一回あたり一週分ずつ、クスリはだぶっていくことになる。
世の中何が起きるかわからないので(天災とか)、常に、クスリの余裕は持たせているからで、
別に医者の言うことをきかないために、クスリに余裕をもたせてるわけではないです(^^;
あんまり出歩かないようにとはいえ、全然動かないと、身体の筋肉がどこまで衰えるのかを退院したときに思い知ったので(あれは病気と同じくらいマイッタ)、
適度に身体を動かすように気をつけて、可能な限りの運動は続行。
でも入院は絶対しない。(これも変に真似しないでほしいです。したほうが良い人もいるはず。)
痛いとか苦しいとかもあるわけだけれども、いたって客観的に自分の状態を把握しつつ、経過を見ながら状態を記録する。
こういうときの自分は、やけに冷静だなと、いつも思うのだけれども、それは人生なんて、たいしたことではないという考えが、根っこにあるからだろうと思う。
誤解されると困るのだが、人生を軽んじているわけではない。
一人分の人生っていうのは、途方もなく長い命のつながりの中の、全体から見たら顕微鏡でないと見えないくらい短い一部分でしかないと思う。
でも、その短い一部分であっても、そこを切断してしまったら、全体の長さは維持できないわけで、そういう意味では、いかに小さな単位であれ、ないと困る大事な部分。
だから自分の人生は大事に生きようと思うし、生きてるうちにできることは全部やろうと思っている。
知り合いのTさんが、『我々はDNAの運び屋でしかない』と言っていたが(この人は病人ではなく、健康な人です)、
自分と同じような考え方をする人はいるのだなと、あらためて認識。
自分の役割は、きっちり果たさなくてはいけないと思う。
だから、自分の人生を、自分だけのモノだと思って固執するのは間違ってる。
自分だけのものではないと思えるようになれば、大事にするようにもなるし、へんな方向へ執着することもなくなる。
病状が回復するまで自分の状態を追いかけて記録していくことにする。
たぶん、去年の数字(CRP)、去年の体調に戻るには来年の初頭までかかるだろうな。
続きは、また後日。
(2003.9.8)