本来は、自分のプログラム(Pixia Linux版)の開発記(履歴)として病院で
書いていたものですが、いつのまにか、プログラムよりも
病気に関する記述ばかりになってしまったので、Pixia添付の
readmeからは病気に関する記述の大部分を削除してあります。
この文章は、逆に、Pixiaのreadmeから、プログラムに関する大部分を削除した
ものです。
僕は28歳で、プログラマーをしています。
今年6月に入院し、7月にクローン病と診断されました。
原因がわからない病気であること、治療法もわかっていないこと、
だから一生治らない病気であること、国で難病指定されていること、
詳しく説明をうけ、ショックを受けましたし、落ち込みました。
しかし、たくさんのクローン病患者さんのホームページから闘病記や
入院日記を読むと、不思議とだんだんと落ち着くことができました。
(もちろん、それで病気が治るわけではありませんが^^;)
それで、この文章も公開することにしました。
多少でも、同じ病気になった人の役にたてますように。
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1999年
5月
下痢はゴールデンウィークあたりから始まっていた。
5月半ばから急激に体調が悪くなる。 20日前後には寝込んだ。
下痢がひどいんである。
1週間で10kg体重が減った。おかしい。
5月中に Pixia Linux版をアップロードする公約が・・・
(ごめんなさい、みなさん)
毎日猛烈にお腹が痛い。下痢がとまらず痔になった。
こっちも痛くなった。椅子にも座れなくなった。
(肛門付近の大腸の炎症であって、
痔ではなかったろうと、後になってお医者さんに言われた)
激しい腹痛で仰向けになれない。
座椅子に座って、おなかを丸めていないと耐えられない。
それでも仕事上のアポイントメントがとってあるときは
電車で都内まで出ることがあった。
我ながら愚かなことをしていた。
痛みで冷や汗タラタラ流しながら打ち合わせをし、具合が悪いのを
悟られないように、必死になってごまかしていた。
アホなことをしていたものだ。
行きの電車も、帰りの電車も、
1時間ほどの時間なのに果てしなく長く感じた。
そのうちに、家でじっとしていることしかできなくなった。
痛みで一睡もできない。毎晩座椅子に座って夜中の2時、3時と
ジリジリ時計を眺めながら過ごしていた。
朝になれば医者に行けるから。医者がなんとかしてくれると思った。
僕は医者嫌いで、ほとんど行ったことがない。
しかし、今回ばかりはあきらめた。
3日間だか、4日間だか忘れたが、なにも食べられなかった。
しかし、医者に行っても痛み止めと痔の薬、下痢止めをもらうだけ
で改善なし。
そんな毎日だった。でも、夜になるとやはり翌日もしくは、数日後、
医者に行くことだけ
を待って、ただただ、時計を眺めながら痛みに耐える。
単なる痔と下痢だと、医者も僕も思っていた。
でも、多少はおかしいと思ったのか血液検査をしてくれた。
6月 1日 ・立つのもつらい。
はやくお医者さんにみてもらいたい一心で、朝を待ち、この日も
女房が起きるとすぐに車で連れていってもらった。
もちろん、朝までは一睡もせず、ただ時計を眺めながら
過ごしていた。
病院へ行ったが女房の運転する車から、降りるのも一苦労。
ドアにしがみつき、女房に肩を貸してもらってやっと
病院の待合室にたどり着く。
血液検査の結果がでていた。
詳しいことは聞かなかったが、白血球がどうとうか言っていた
ような気がする。
要するに、血液検査で、かなり異常な状態であることがわかった
らしい。
さすがに痔にしては症状が異常だということで別の病院を紹介
される。
その紹介された病院で、診てくれたS先生が、一目みて
「これは痔じゃない」と言ったのを覚えている。
診察室で寝かされた。もう座ってもいられなかった。
うしろへ看護婦さんへ指示していた。
「たぶん腸結核だ。**病院へ連絡しろ」
とか言っていたのが聞こえた。
そのまま救急車がくるまで横になっていた。
**病院へ電話がつながったらしく、話が聞こえた。
「腸結核だと思う。すぐそちらへ入院させたい。
でも、まずは点滴だな。衰弱がひどい」
とか言っていた。
結核は院内感染のおそれがあって、結核を扱う病院でないと
治療できないらしい。看護婦さんもあわてて消毒をしていた。
腸結核の疑いでまた別の病院へ救急車で運ばれる。
立てなくなっていたので、担架で救急車に乗せられた。
即入院。
ほぼ間違いなく結核だろうと言われ、結核病棟に隔離される。
結核だと肺のレントゲンを取る。レントゲン室まで歩けるかと
聞かれた。歩けるような気がしたので、「歩きます」と答えた。
でも、途中で倒れたらしい。
この日のこの後のことは、意識が朦朧としていたらしく、
断片的にしかおぼえていない。
6月 2日以降
症状がひどいので2日目に一人部屋の個室に移された。
この部屋は、ベッドの脇がトイレになっていて、だいぶ楽になった。
毎日、痛み止めを注射したり、点滴から入れたりしていた。
その日から、高熱と下痢、栄養不良で朦朧としながら過ごす。
(なにも食べられなくて、点滴だけで生きてた)
たぶん、この入院して数日が症状のピークだったんだろうと思う。
40度以上の高熱が続く。激しい腹痛と、下痢がひどく、
夜中も30分おきぐらいにトイレに行っていたので全く眠れない。
フラフラしながら看護婦さんに抱えられてトイレ。
羞恥心など、どこかへ行ってしまった。
痛みは、毎日痛み止めを注射してもらったが、2時間くらいで
効き目がなくなってしまう。
熱も下がらなかったが、僕はアレルギー体質なのだが、解熱剤
を注射したら蕁麻疹が出たので、氷枕を頭と脇の下にはさんでいた。
10日くらいはこんな状態が続いた。
それなりに症状が軽くなったある日、保健所から人が来た。
「結核なら、ほとんど医療費はかかりませんから、安心してください」
つらくて、お金のことなどどうでもいいから、早く治りたいと
思っていたが、でも、女房はそれで安心していた。
よい制度があるものだ。
そのうちに結核ではないかもしれないと言われるようになった。
2週間くらい経っても、結核の薬がぜんぜん効かないんである。
この病院には専門医がおらず、他の病気だと診断ができない
らしいのだが、クローン病か、潰瘍性大腸炎のどちらかかも
しれないと言われる。
(後になって、腸結核、クローン病、潰瘍性大腸炎は症状が
似ていて誤診が多いことを知った。)
クローン病というのは聞いたことがなかった。
潰瘍性大腸炎のほうは、「腸の炎症かな?」と思った。
診断するには別の病院に行かねばならず、
しかし結核でないことが はっきりしないと
結核病棟から出すわけにはいかず、検査ができないという。
困ったものだ。クローン病のための治療は、クローン病と診断
されてからおこなわれる。しかし、結核の可能性もあるので、
病棟から出られない。だから、検査ができない。
無駄な日々を過ごしているような気がした。
結核の検査結果が出るには4週間必要だと言う。
入院初日から便や淡をとって調べている。
今月終わりまでわからないということだ。
じゃ、結核かどうかわからないまま入院している人も多いのかな、
と疑問を口にしたら、「そうです」と看護婦さんが答えた。
それでも、クローン病と潰瘍性大腸炎の両方に有効な
薬(サラゾリピン)を処方してくれた。
この薬は効いた。熱も下痢もおさまってきた。
この時点で、結核ではないと、お医者さんは確信していたようだ。
個室から絶対に出るなと言っていた。
結核病棟をうろうろすると、本当に結核になってしまうからだろう。
でも出歩く気にはなれなかった。だいたい歩く体力なんてなかった。
一時、のどに炎症が起きた。自分では脱水のせいだと思っていたが、
あとでクローン病のことを調べたとき、のどや口に炎症が起きると
書いてあった。
これは、トローチを頼んで出してもらった。それで2〜3日で
なおった。
6月下旬は、サラゾリピンを毎日飲んでいたおかげだろう、
だいぶ体調がよくなっていた。下痢も止まった。
ときどきベッドに起きあがれるようになり、
毎日本を読んで過ごした。
食事もとれるようになった。(お粥だけど)
なんだかもの足りず、隠れてお菓子を毎日食べていた。
チョコレートクッキーだとか、パウンドケーキだとか、スナック菓子
だとか、クローン病にはいけないものをたくさん食べていたのだが、
このときは 知らなかったので個室なのをいいことに、
看護婦さんに見つからないようにボリボリ食べていた。
(クローン病について、そこそこ知識がある今は、そんな恐ろしい
ことをする気はない^^;)
6月30日 ・やっと検査結果が出て、結核でないことが判明する。
この頃は、本を読んだり、10分くらいなら、
ベッドにすわっていられるようになるまで回復していた。
「明日、転院しましょう」と言われる。
6/1に腸結核かもしれない、と言った病院へ逆戻りである。
7月 1日 ・結核ではなかったので、また別の病院へ転院。
今度はクローン病の疑い。クローン病の説明をうける。
不治の病、国で難病指定されている。
食べ物とストレスにさえ気をつけていれば普通に生活できるという。
しかし、その禁止される食べ物というのが、
酒、タバコ、油、肉類、脂肪、乳製品、繊維を含むもの、etc.
何を食べればいいんだろうという疑問がわく。
フライもだめ、ラーメンもだめ、コロッケもだめ、
貝もだめ、牛乳もだめ、パンもだめ、カレーもだめ・・
果物や野菜のような自然のものならいいのかと思うと、
結構駄目なものが多い。
食べられるものより、食べられないもののほうが圧倒的に
多い気がする。
もっとも、何年も何も食べずに点滴や成分栄養だけで生活している
患者さんもいるそうだ。
クローン病ではありませんようにと祈る。
・クローン病も医療費免除。
しかし、クローン病であった場合、結核の疑いで入院していた
6月分の入院費15万円は結核として支給されるのだろうか、
それとも、クローン病として支給されるのだろうか?
7月 2日以降
・毎日のんびり過ごす。比較的体調がよくなると、今度は退屈で
しょうがない。毎日本を読む。
1日5〜6冊のペースで文庫本小説を読んでいた。
結核病棟にいた頃を含めると退院までに150冊くらい
読んだんじゃないだろうか。
(おかげで入院中にだいぶ視力が落ちた^^;)
毎日女房に買ってこさせた。
「お金がかかってしょうがない」と女房に言われ、
途中から古本を持ってくるようになり、
次は図書館から借りてくるようになった。
7月 3,4日 ・外泊許可が出た。一晩、自宅で過ごしていいという。
自宅でなにをしたかと言えば、インターネットでクローン病について
調べた。
聞いていた以上にやっかいな病気らしい。
死亡率は低い。
これは幸いなのか、それとも病気を背負ったまま
生きていくのは不幸なのか。
クローン病だと、もう保険には入れないらしい。
僕はろくな保険に入っていない。入っておけばよかった。
・確定診断はついていなかったが、主治医はクローン病であると
確信しているようだ。言葉の端々にそれが出ていた。
・結核病棟では子供は入れなかったので、1ケ月ぶりに子供に会えた。
1ケ月も会わないと全然違う。声も少し変わったみたいだ。
久しぶりに会って、子供もはしゃいでいる。
7月 5日 ・早朝、病院へ戻った。
翌日、検査なので下剤を飲む。
食事も検査用食事というそっけないもの。
それ以外は、ただヒマなだけの一日。
7月 6日 ・注腸造影検査の日。朝から下剤のおかげでトイレ通い。
検査は、これはつらかった。
肛門から空気とバリウムを流し込んでレントゲンをとる。
痛みとは違う、なんともいえない耐え難いつらさ。
おなかの中で空気とバリウムが移動するせいだろう。
じっとしていれば耐えられるのだが、あっちこっちと向きを変えながら
撮影するのでつらい。
・検査結果、クローン病と潰瘍性大腸炎にお医者さん達の意見がわかれ
確定診断つかず。
せっかくいやな検査を我慢したのに、結局どっちかわからないなんて。
・レントゲン写真を僕も見せてもらった。狭窄がはっきり見え、
これが自分の腸だと思うとショックだった。
7月 7日 ・個室から大部屋へ移される。(6人部屋)
同じ部屋にクローン病患者が僕を含めて3人いた。
1万人に1人の珍しい病気と聞いていたが、最近増えているそうだ。
・今日から絶食を言い渡される。(悲しい)
また点滴栄養だけか・・
7月 9日 ・内視鏡検査の日。
やはり前日から下剤を飲むのでトイレ通い。
肛門から内視鏡を入れて、腸の中を突き進ませる。
痛いこと、苦しいこと。注腸造影の比ではない。
二度としたくない。
検査前に痛み止めを注射したが、それでも痛かった。
のたうちまわったが、声は出さなかった。我ながら、えらい。
苦しみながらも一緒にモニターを見ていた。
「これが自分の腸の中か」
この病気は治療より、検査のほうがつらいかもしれない^^;
出血している部分がなく、割と状態は良さそうだと言っていた。
でも、細胞検査とか行って、内視鏡にくっついている小さな
ピンセットのようなもので、組織をひっぱってとっていた。
せっかくきれいな状態なのに、それで出血が始まるのが
なんだか悲しかった。
ひっぱるとき、確かに、痛みがあった。
同じ大部屋にいるKさんが同じ日に検査したが、
こちらはあまりの痛みに騒いで途中で中止になったそうだ。
痛がれば中止になるのなら、僕ももっと騒げばよかった。
・これで、クローン病と確定診断された。
6/1に入院して、診断まで1ケ月以上かかった。
いやな病気になったものだ。
9割方わかっていたこととはいえ、しばらく落ち込む。
落ち込んでると退屈しないのね。
ただボーっとしているだけで時間が過ぎていく
「なってしまったものはしょうがない」と強がりで看護婦さんに
繰り返し言っているうちに自分でもそういう気持ちに変化
していった。
治せないというのだから、しょうがない。
死ぬまで治らないというなら、あきらめるしかない。
肉体労働じゃないんだから、仕事もなんとかなるだろう。
まだ寝たきり状態が続いているが、座る練習も始める。
心臓が寝ている状態に適応してしまったんだろう。
座っていると15分と耐えられず、すぐ横になってしまう。
7月13日 ・だいぶ座っていられるようになってきた。
看護婦さんに
「病気以外のことに気持ちを向けなさい」
と言われ、ノートパソコンを持ち込む。(愛用のLavieNX LB26C)
・女房に TurboLinux4.0を買ってきてもらいインストールした。
やはり ATOKは良い。
今日も検査。
クローン病は胃や小腸にも及ぶことがあるそうなので、
小腸と胃のレントゲン検査。
ふつうの健康診断でやる検査とあまりかわらず、一番楽な検査だった。
でも、やっぱり下剤を使うので、いいかげん、うんざり。
短期間で下剤ばっかり飲まされて、これも嫌だった。
しかし、小腸と胃には病変はなしということ。よかった。
クローン病は、小腸の人と、大腸の人が大部分だそうだ。
ほかの部位にある人は、あまりいないらしい。
僕は大腸型、同室のMさんも大腸型、Kさんは小腸型。
小腸は栄養を吸収し、大腸は水分を吸収する。
だから、小腸型クローン病のほうが栄養不良になりやすいそうだ。
大腸型は水分吸収が抑えられてしまうので脱水になりやすい。
こうやって聞くと、人間の体って、単純だな、と思ってしまう。
7月15日 ・入院直前までつくっていた Linux版 Pixiaをちょっとずつ再開
することにする。間をおきすぎて覚えかけていた Motifの
関数をだいぶ忘れてしまった。
一ヶ月間、一歩も歩いていなかったので体力低下が甚だしい。
やたらと疲れやすくなっているので休みながらなのはしょうがない
トイレを往復するだけで横っ腹が痛くなる始末。
点滴台を引きずりながらの移動。
7月18日 ・毎週血液検査をしているのだが、炎症反応が安定しているので、
食事を始めることになった。
おもゆからスタートして、3分粥、5分粥、7分粥、全粥と
ステップアップしていくとのこと。
しかし、おもゆは食べ物とは思えない。まずい。
7月19日 ・体力が戻らず、30分も座っているとヘトヘトになってしまう。
信じられないことだ。
ベッドに寝たり、座ったり繰り返し。
はやく体力を回復しなければ。
7月21日 ・食事が始まって初めての血液検査。
結果次第では、また絶食に逆戻りだろうかと、心配だったが、
とくにひどくなっていない。一安心。
ただし、貧血がひどいので気をつけるようにと言われた。
(ヘモグロビン濃度が9.4だそうな。)
いちばんひどい頃の体内の出血が原因。
6月1日からくっついていた点滴がはずれた。うれしい。
やっと身軽に移動できる。
本当にうれしかった。まともに散歩する気になる。
しかし、歩いていると、「何かない」という違和感がある。
変なものだ。
食事は、だいぶ食事らしくなったが、クローン病だと
食べられないものばかりなので、
毎日おかゆと、豆腐とか、ゼリーとか。似たようなものばかり。
毎日ちょっとずつ、おかゆが堅くしていて胃腸を慣らしていく
計画らしい。
胃のほうも、ずいぶん長い間何も食べていなかったので、
少し食べるととても、もたれる。食べて2時間くらいは動けない。
7月24日 ・日曜日。外出許可がでたので昼間を自宅で過ごす。
(家に帰るのに外出と言うのもおかしなものだなあ)
子供が離れず、疲れた。
7月からは隔離病棟ではないので、ときどき病院にも来ていたが、
自宅で会うほうが嬉しいらしい。
やっぱり父親がいなくて、さみしかったんだろうな。
かわいそうなことをした。
7月26日 ・なんだかだるい。暑さのせいか。
不整脈があることが発覚。
7月27日 ・不整脈があったというので心電図をとる。
しかし、心電図では異常なし。
7月28日 ・絶食期間が長すぎて、胃が機能を忘れてしまったのか、
食べるたびに苦しくて仕方なかったのだけれども、
だいぶ病院の食事に慣れてきた。
毎日プログラムしているおかげで座っていられる時間も
長くなってきた。
順調なんだと先生にも看護婦さんにも言われた。
あとは寝たきり生活が続いて退化してしまった体力と
筋力の回復だ。毎日階段を上ったり降りたりしてリハビリ。
7月29日 ・なんだか、毎日微熱があるのだけれども、どうせ治らない病気なので
そろそろとりあえず退院らしい。
退院してもなんとかなる状態ということなんだろうな。
退院した後は再燃しないように毎日生活するのだそうだ。
しばらくは恐くて外出もあまりできないだろうけど。
2ケ月前の苦しみはすっかり恐怖感として残ってしまった。
と思ったら、主治医と相談して、今日の夕方いきなり退院すること
になってしまった。
ほぼ2ケ月の入院生活、ここで終了。
不安なような、うれしいような。
しばらくは週に一度は病院通い。
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退院してから
同じ部屋に3人クローン病患者がいましたが、僕はKさんに続き、
2番目の退院でした。
早く退院させてくれ、とお医者さんにはいつも言っていましたが、
いざ退院すると、とても不安でした。
病院にいる間は、夜中だろうとなんだろうと、24時間、何があっても
対応してくれました。
それが自宅では、そういうことはありません。
もう大丈夫だと言われても、なかなか安心できませんでした。
いつ体調が悪くなるか不安で、退院して1週間くらいは、いつも
布団で寝ていました。
やっと最近、動いていることに慣れてきて、近所のコンビニに
行ったり、女房が車で買い物に出かけるときに一緒にいくように
なりました。
食事は今もお粥+成分栄養剤です。
普通のご飯を食べられるようになるのは難しいと、お医者さんに
言われました。
今は、食事の内容と時間、寝る時間をくずさないように気をつけながら
自宅で仕事をしています。
病院嫌いでしたが、今回は病院のありがたみを思い知りました。
看護婦さんやお医者さんには感謝、感謝です。
看護婦さんの一人とは、今もメールのやりとりをして、励まして
もらったり、情報交換をしています。
クローン病は患者さんが少なく、病院も情報不足のように感じました。
クローン病になってしまった人へ、
なってしまったものは仕方ないですね。
でも、落ち着いて冷静に考えてみれば、そんなに悪い病気ではない。
死ぬわけでもないし、薬さえ飲み続けていれば、苦しいこともない。
成分栄養剤や、食事の面の面倒は慣れでしょう、きっと。
(僕も、まだめんどくさいけど^^;)
仕事もさほど支障なくこなしている人がたくさんいるようです。
僕の場合、会社が比較的時間の融通がきくので、調子を見ながら
出社したり、しなかったりです。
仕事のカタチにあわせてそれぞれ調整ができるんではないでしょうか?
まだ怖くてできないけど、
そのうち、旅行や帰省にも挑戦してみようと思います。